ふた穂のビンテージ情報や使用米の産地の様子などをお伝えしてまいります。
高島村史
高島村史(昭和十二年八月十五日 吉備高島聖蹟顕彰会 発行)より
我が高島村が優秀なる米穀を多産するは前述の如くなるも就中雄町撰(原産高島雄町米)の品質優良にして他に追従を許さざるは、実に本村雄町村、岸本甚造翁の粉骨の努力によるものなり。今翁の伝を誌して其の功績の一端を述べん。
岸本甚造翁
氏は高島村雄町の人、天明八年二月五日を以て生を此の地に享け、慶応元年八月二日病歿す。時に年七十八歳。資性温良、経済の思想に富みて耕耘を好み、作業最も熟練なり。常に稲作の豊歉は、一つにその種子の良否に因るとなし、良種の撰擇には最も努めたりしが、偶々伯耆大山に参拝の帰途、果してその優良品種を認め、之を採収して僅かに二穂を齎らしたれば初めは之れを茶碗に浸し、播種栽培せしものなるが、爾来幾多の辛酸を嘗め、脳漿を絞り、心血を枯らして改良に改良を加へ、遂に現今の原産高島雄町米を得たり。始め伯耆に於て二穂を採収したるに因り、二本草と名付けしも、各地方へ伝播せしにより後は雄町撰と称せらるるに至れり。米質良好粒形大にして、その味も亦神力種等に比較すれば、粘着力強くして尤も賞讃せらる。且又熟期稍々早く、為に地方在来種は殆んど其の跡を絶つに至れり。現今は本邦内地は更なり、遠く外国へも及べり。曩に岡山県農会の照会に依り、北米合衆国へ本種五十石を送付したるが如きはその一例なり。氏が種子改良の功績顕著なるは勿論、原産高島雄町米の名を聞くもの、誰か氏の功績を追憶せざるものあらんや。実に偉大なる功績と言ふ可きなり。今各種の会より贈りし賞状を左に掲げん。
choryo 08/09/06



